〈WGBH〉BSO タングルウッド2018 オープニングナイト チャイ5、モーツァルト

※6月29日の記事に追記の上再公開。

オープニング・ナイト
2018年7月6日 タングルウッド、クーセヴィツキー・ミュージック・シェッド
アンドリス・ネルソンス指揮
ボストン交響楽団
ラン・ラン(Pf)

モーツァルト:『魔笛』序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
(アンコール)ショパン:ノクターン第20番嬰ハ短調
チャイコフスキー:交響曲第5番

Opening Night at Tanglewood!
(WCRB 2018年7月6日 20:00~)
※アーカイブは当面公開なし

プログラムノート
モーツァルト24番
チャイコフスキー

ライプツィヒのシーズンが終わるとすぐにタングルウッドが始まる。ネルソンスは今年もオープニング公演を指揮。ソリストのラン・ランは長期休養からの復帰ということで、当初予定されていたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番に代わりモーツァルトの24番になって、『魔笛』序曲が追加された。チャイ5はネルソンスの得意の一つであるはずだが、最近あまり取り上げていなかった。来シーズンはGHOでも演奏されるので、比較するのも楽しみの一つ。

アーカイブは恐らくなし。再放送は定期と違ってスケジュールがイレギュラーになるかもしれないが、行われる可能性が高いと思う。
放送後に追記予定。


(以下放送後追記)
ラン・ランが怪我による長期活動休止から復帰して最初の公演ということで、そちらの注目度が高かった。もともと前半はチャイコン1曲の予定だったはずだが、彼の状態を考慮してのプログラム変更。オープニングとしてはやや地味か。
ネルソンスの振るモーツァルトの序曲というのは、全くないわけではないと思うがあまり記憶にない。魔笛の全曲というのもリガ時代あたりではやっているのだろうか。あまりキレのある感じではない、無害なファンタジー感。

ラン・ランというと、以前BRSOでネルソンスと演奏したチャイコン(→〈BR Klassik〉BRSO チャイコPf協1番、ショスタコ4番(フランクフルト))はかなり色々と技巧を凝らし、あざといまでのアクセント付けで良くも悪くもエキサイティングなソロをきかせていたのを思い出す。そういうピアニストなのであまりモーツァルトのイメージがないが、ここでは彼にしてはかなりシンプルというか、やや慎重な印象だ。といっても思索的なタイプではないし、ロンドでは持ち前のリズム感覚で変化に富んだ演奏をきかせている。オケが大きめの編成でやや重めなのはいつものこと。
アンコールはショパンのノクターン。


チャイ5に関しては2008年、就任間もないCBSOを振ったCD(→〈CD〉CBSO チャイコ5番、ハムレット)と、2012年のベルリンフィル(→〈DCH〉BPh チャイコ5番、子供の不思議な角笛〈DCH〉ヴァルトビューネ2012 チャイコ5番、1812年)の録音が手元にある。
CBSO時代によくやっていたチャイコは、今のネルソンスで改めて聴いてみたい作曲家のトップ候補であり、今後GHOで順次取り上げていくつもりらしいのでとても楽しみにしているところ。その皮切りとなった先の悲愴(→〈GHOツアー〉パリ公演 悲愴、モーツァルト40番)もそうだったが、BSOとの今回のチャイ5も、この6年間でのネルソンスの解釈の深化をはっきりと示すものになっている。

第1楽章はもともと速い方ではないネルソンスの今までの演奏と比べてもだいぶ遅めだが、全く緩むことはなく終始峻厳ともいえる集中力で、常に圧迫感を伴った重みがある。テンポが落ちた分、管楽器のアーティキュレーションにもより細かな工夫が見られる。GHOのブルックナーなどでは頂点でも完璧に馴染む金管が魅力になっているのに対し、ここでは(タングルウッドという環境も関係しているのかわからないが)頂点における打撃がかなり強く、鋭く研ぎ澄まされた調子なのも際立っている。

第2楽章は取り立てて遅いということはないが、色彩は終始憂鬱。ホルンソロは比較的ルバート的に吹いているが、その雰囲気にはよく合っている。メロディの美しさは存分にきかせているのだが、その甘美さに酔うようなところは全くなく、常に息詰まるようなメランコリーと、既に悲愴を思わせるような悲劇的な情熱に貫かれている。激しい感情をそのまま奔出させるのではなく、丹念なメロディラインの造形の中に滲み出させるようになっている。最初の運命主題の後のヴァイオリンの、深い悲しみを湛えたような響きが素晴らしい。二度目の一気呵成の運命主題も衝撃的だ。

第3楽章は唯一少し明るさがあり、ここだけ少し重力から解放されたように音の感触が変わる。テンポ的には中庸から遅めという感じで、アンサンブルを一音一音丁寧に紡がせている。中間部は勢いよく生気があるが、後半のワルツから終盤にかけて次第にメランコリックなムードが戻り、出口を塞ぐように運命主題が回帰する。「メロディのマスターピースであり、運命の音楽」とは開幕前のインタビュー(→〈WAMC〉Roundtable タングルウッド2018開幕インタビュー)におけるネルソンスの言。第2楽章もそうだが運命主題の劇的な位置づけ方は興味深い。

第4楽章の始まりが長調なのだがどことなく不気味。特にティンパニが入る前のトランペットあたりからは、この音楽が「運命」の勝利に向かうものであることが明らかになってくる。しっかりと圧力のかかったヴァイオリン、金管楽器の低音、無慈悲に追い立てるような低弦と、一貫して暗くインテンシブなサウンド。遅めで着実なテンポ感、そしてアッチェレランドも勢いではなくきっちり組み立てられていることで、人間にとってこれがどうあっても逃れられない歩みであることが表現されている。最後のマエストーソが断頭台への行進のようなイメージで聞こえてきたのは初めてのことだった。

私はネルソンスが以前から語っていた、この曲に対する彼の悲劇的な解釈をずっと心に留めてきたので(今、ベルリンフィルでのインタビューを聞くととても興味深い)、それに多少引きずられているところはあるだろう。それは認めるとして、私にはそういう彼の解釈がこの演奏においてようやく、完全な説得力を持って演奏に実現されたのだという気がした。多くの解釈が最後を「苦悩から歓喜へ」的な勝利とみなしている中で、ネルソンスがどういう経緯でその立場に至ったのかは気になるところなのだが――10年前、29歳の時点で既にそうだった――、正直、今まで彼が「最後は悪の勝利」という話をしていても、実際の演奏を聴いているとやっぱり結局は楽しい曲だしなあ、と完全には腑に落ちかねるところがあった。しかし今回のBSOの演奏を聴いて、これなら文句なく彼の言う通りのチャイ5だと思った。タングルウッドでこれが聴けるとは思わなかった。以前はここでの演奏は良くも悪くも開放的、楽天的なイメージがあった気がするので。

というか、タングルウッドでのネルソンスはこんな↓感じらしいのだが、ここからどうやってこのチャイ5が生まれてくるのか、不思議になるほどだ。上述のインタビューではプログラムごとの頭の切り替えについて「脳味噌の中に棚shelfがあって、その都度開けている」という話をしていたネルソンスだが、棚というより密閉式の金庫なのかもしれない。

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